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浮世渡らば豆腐で渡れ

「人は何時も明るく、礼儀正しくして、働くことを厭わなければ人生は何ととでもなるもんですよ」とよく言われてきた。これはまさしく人生の極意である。

であるならば「礼儀正しく」ってどうすること?他人への声のかけ方?挨拶の仕方?依頼の仕方?訪問の仕方?物の言い方、服装や飲食の仕方、立ち居振る舞い、お土産、返礼、賀状い、公共のマナー?これらにいちいち作法が決められてるの?
私の周りの家族や、近所の人などは、ほんとに礼儀はいい加減なもんだ。静岡県遺言書協会の電話に教えてもらいたいことなどがあって電話してくる人の大半が、先ず自分を名乗らないし、タメ口が多い。なんでもタダで教えてもらえるかのように思ってるらしい。こういう時私の専門家としての自尊心はズタズタだ、また、街などに出てゆくと行き交う人々の態度など、びっくりするような厚かましさである。
礼儀の作法はいろいろあるからそれらを知らないと困るけど、こうした作法の根本思想は何だろうか。それは、相手の自尊心を傷つけないということに尽きる。相手に敬意を払う、相手に対して慎みの態度をとる、これが礼儀の根本思想だ。
相手は皆、自分を低く見られたくない、自分に敬意を払ってもらいたいと思っている。子供でもそうだ。相手は互いの年齢の上下を気にしてこちらの言動を敏感に感じて評価いるのだ。
だから、こちらは、充分繊細な気配りをして相手に不快感を与えないような言動をしないと相手を苛立たせてしまうのだ。人間は言葉以外でもコミュニケーションをとるから、こちらの無神経な仕草は相手の敬意を損なってしまうことになる。
繊細な気配りと言えば何と言っても京都人だろう。
北国にはぶっきらぼうで無神経な人間が多い。私は北海道の山の町でうまれ、中学高校は東北の漁師町で育った。それまでに学んだ礼儀と言うのは、封建的な順序第一の交際の仕方で、親戚周りの挨拶はまず本家から長幼の順で各家を廻るというもので、訪問した家では必ず最初に仏壇に線香をあげることになっていた。他にも武骨な作法がいろいろあり、知り合い同士が町でかわす言葉もぶっきらぼうなものだった
そんな私は大学生になり東京に出てきて、やがて京都の女学生と知り合い、大いに驚いたのは、彼女の言葉と仕草にみる気配りと繊細さである。顔は美人でもなかったけど、彼女の言葉には大げさなほどの大きな抑揚があり、仕草もまた細やかでとても可愛い。こんな人種はかって見たことが無かったので、私はたちまち彼女の虜になってしまった。その後就職するなどして関西の人間とも大勢付き合うようになり、関西人、特に京都の人間の言葉と態度の繊細さに感動した。
彼らはじつに上手に自分を表現する人種だ。北国の武骨人間から見ると、くにゅくにゃした、女の腐ったかのように思える彼らの態度は、まったくの異文化人種のようだった。これこそ文化の差だろうと思う。
関西人はほんとによく人に慣れている。北国とは気候も歴史もまるで違うから、同じ日本人でも天と地ほど繊細さが違うのだ。それが礼儀ひとつにもよく表れている。東国の武士の子孫は大いに関西人のセンスを学ぶべきである。関西人の礼儀はじつに行き届いていると思う。あれで自尊心を傷つけられることはまずないと思う。
こうした人間の質的な差と、人の心理をわきまえて市販の行儀本を読めば礼儀作法はしっかり身につくと思う。
他人と会ったときは、はじめと終わりはきちんと礼儀を行い、途中は臨機応変で楽しく付き合うのも良い。
「浮世渡にゃ豆腐で渡れ」 これは豆腐と言うものは四角くてきっちりしているが、触ればやわらかくて柔軟であるから、人間も豆腐のように、見かけはきちんとして堅そうでありながら中身の柔らかい人間であれば世間をうまくやって行けるよという教えのようだ。
皆から好かれるような人間で生きてゆくには礼儀にかなう言動を身に着けるべきだ。

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