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2016年4月 6日 (水)

赤穂城と大石神社

倉敷を出て、夕方に播州赤穂に向かう乗換駅の相生で、年配の、日焼けした警備業らしいおじいさんと親しくなった。電車の中でいろんな話になり、この人は坂越駅で降りて行った。こういう人との出会いは団体旅行では味わえない。私たちは次の播州赤穂で降りた。

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駅の構内には、浅野内匠頭の辞世の句が大きく飾られている。忠臣蔵と大書した書は悪筆だった。

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路線バスで宿に向かう。
宿の前には播磨灘が広がっていた。小豆島に向かう船から眺めた家島諸島が点在している。平家隆盛の昔からこの海は豊穣の海であり、富を運んだ海であったことだろう。

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(上の写真)生島から西へ目を移すと

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左が家島で

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その右が西之島。石を切り出した山肌が痛々しい。

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右の向こうが小豆島

翌日は赤穂城に出かけてみた。ここは平城で天守閣はない。

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下の写真は大石内蔵助の長屋門

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元禄14年、主君の危急を知らせに家老大石のもとに駆けつけた早水と萱野だ。Cimg9694

私も当時の早籠に乗ってみたよ。

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この一報から大石の人生はドラマになってゆく。

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1年10か月後の12月14日、赤穂浪士47名は吉良邸に討ち入りした。

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私も真似して、昨夜は妻のベッドに討ち入りし、大願成就。そのあと切腹のお沙汰もなく旅を続けられた。

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浪士たちの実際の装束はこんな風だったようだ。

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堀部安兵衛が着込んだ鎖装束

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赤穂浪士の討ち入りはまさしく武士の美学の実践であった。幕末に井伊直弼を暗殺した水戸浪士は称賛されなかった。同じ私闘であっても随分と評価が違うものだ。

城内には立派な大石神社が建てられていて、毎年、義士祭りなどが盛大に開かれている。義士顕彰会の会報もあるんだ。

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神社の外には義士47名の石像が並んでいた。

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ここは、城の明け渡しで、大石が名残を惜しんだとされる清水門跡

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隣接の歴史博物館で赤穂の歴史を眺めると、赤穂は最高の塩の生産地で、大正時代には4000人もの労働者が塩の生産に従事していたらしい。江戸時代もおそらく相当裕福な藩であったと思われる。それで浅野家が勅使接待役に選ばれたのだと思われる。吉良家も海運業からの収益で裕福な藩だったのだろう。そうした金持ちの藩のいざこざが赤穂浪士のドラマの背景なのだろうか。

赤穂の土産に塩と小魚のくぎ煮を買った。これが旨いのだ。

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私たちは赤穂城を出て、徒歩で駅に向かった。今回の旅のメインは姫路城の見物だ。10分ほど歩くと、途中に昔ながらの米屋があった。「精米 知事許可」という青い看板が下がっていた。これこそレトロそのものだね。

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このとき、私たちは向かう方向を間違えて、駅から離れた方に歩いていたのだった。なんとなく道端で人に道を尋ねたら「、駅はあっちですよ」だって!!
これじゃあ、12時9分の姫路行きにはもう間に合わないなあ。ところがこれがその後の姫路城での奇跡に繋がるのである。果たしてその奇跡とは?乞うご期待!

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